記憶は、臓器のどこに宿るのか
「記憶は心臓にあるのか」「移植によって人格や好みは受け渡されるのか」──この問いは、人間の自己が脳だけで成立しているのか、それとも身体全体にまたがるものなのかを問い直す。
まず、「記憶」という言葉を一つにしないことが重要である。
誰と会ったか、何を見たか、どこで何が起きたかを思い出す自伝的記憶。そして、以前に経験した刺激によって次の反応が変わるという、生物学的な状態記憶。この二つは似て見えて、性質が大きく異なる。
前者の主たる場所は、現在の神経科学では脳である可能性が圧倒的に高い。新しい経験は海馬や嗅内皮質を中心に処理され、経験時に活動したニューロンの集団、すなわちエングラムとして分散的に符号化される。想起とは、保存された文章を一行ずつ読み出すことではない。脳内のネットワークが再び活動し、経験を現在の身体と環境のなかで再構成する出来事である。Engram mechanisms of memory linking and identity
しかし、ここから「記憶は脳だけにある」と言い切ると、もう一つの現実を見落とす。
身体には、別種の記憶がある
免疫系には免疫記憶がある。過去に出会った病原体に対し、B細胞やT細胞は次により速く、より適切に応答する。さらに自然免疫にも、刺激によって代謝やエピジェネティック状態が変わり、その後の反応性が持続する「訓練免疫」がある。皮膚、肺、腸などの組織でも、炎症経験が細胞の反応の仕方として残ることが示されている。Defining trained immunity and its role in health and disease / Inflammatory memory and tissue adaptation in sickness and in health
細胞は、過去を文章として記録してはいない。それでも、過去に起きたことを未来の反応へ反映している。この意味で、脳以外にも記憶は確かに存在する。
ただし、細胞が情報を保持することと、細胞が「母親と旅行した記憶」を保持することの間には、大きな隔たりがある。前者は生物学的事実であり、後者を示す証拠は、現在のところない。The Role of Cells in Encoding and Storing Information
心臓は記憶の保管庫なのか
心臓は単なるポンプではない。内在性心臓神経系があり、局所的な情報処理や可塑性を備える。心拍や血圧などの内臓信号は絶えず脳へ届き、不安、恐怖、安心、自己感覚、注意や認知の状態に影響を与える。The Intrinsic Cardiac Nervous System
けれども、心臓に幼少期の場面や誰かとの会話が保存されている証拠はない。
心臓移植後に人格、夢、食の好みが変化したという語りは、強い印象を残す。しかし、それはドナーの自伝的記憶が移ったことの証明ではない。大手術、免疫抑制薬、臓器不全からの回復、生活の変化、ドナー情報による暗示など、説明すべき要因が多く残る。心臓が情動や認知に影響することと、心臓がドナーの人生を保存していることは、まったく別の命題である。Neurocognitive outcomes and memory transfer in heart transplantation
腸は、脳の記憶能力を変える
腸もまた、記憶の保存庫というより、脳の記憶能力を支える巨大な入力系と考える方が妥当である。腸管神経系、腸内細菌、免疫、ホルモン、迷走神経は互いに関わり、脳の状態を変化させる。腸内環境の変化や糞便微生物移植が認知機能に影響しうるという研究はある。だが、誰かの腸内細菌が別の人の思い出を運ぶという証拠はない。Exploring the effects of faecal microbiota transplantation on cognitive function
腸は記憶のディスクではない。むしろ、学習し、思い出し、感情を経験する脳の「動作条件」を変える、生きた環境である。
未解決の扉──RNAとプラナリア
この問いをさらに深くするのが、RNAによる記憶転送やプラナリアの脳再生後の学習保持をめぐる研究である。アメフラシでは、訓練個体由来のRNAが未訓練個体に感作に似た反応を生じさせたという報告がある。一方で、これは特定の出来事の内容が移されたことを示すものではない。RNAが細胞のエピジェネティックな状態、つまり「反応しやすさ」を変えた可能性がある。RNA from Trained Aplysia Can Induce an Epigenetic Engram
プラナリアについても、頭部と脳を再生した後に以前の訓練を反映する行動が残るとする興味深い報告がある。しかし再現性には重大な疑問があり、現時点で「脳を失っても記憶は残る」と断言することはできない。An automated training paradigm reveals long-term memory in planarians / Failure to classically condition planarian flatworms
こうした研究は結論ではなく、生命が情報をどの階層に保存しているのかを問うための、未解決の扉である。
脳と身体の閉ループ
ここから見えてくるのは、「脳か、心臓か、腸か」という臓器対決ではない。
自伝的・意味的な記憶の中心には、脳内エングラムがある。だが、その記憶を一つの生きた体験として再現する過程には、心拍、呼吸、腸、免疫、代謝、ホルモン、自律神経など、身体全体が関与している。
自伝的記憶の符号化
↓
脳のエングラム
↕
身体からの絶え間ない信号
├─ 心臓・呼吸
├─ 腸・腸内細菌
├─ 免疫・代謝
└─ 内分泌・自律神経
↓
記憶の再体験、情動、自己感覚したがって、現時点で最も誠実な答えはこうなる。
人生の出来事を語り直せる記憶は、主として脳に宿る。
しかし、過去の経験を受けて身体が変化し、その変化が次の反応を形づくるという広い意味での記憶は、全身に宿る。
人は脳だけで過去を思い出すのではない。脳を中心に、記憶を思い出せる身体の状態を、全身でつくり直しているのかもしれない。
本当に問うべきことは、「記憶はどの臓器にあるか」ではなくなる。
生命は、過去をどの階層に、どのような形で残しているのか。
その問いの先に、自己とは脳だけなのか、それとも脳と身体が結ぶ動的な関係そのものなのか、というより大きな探求が待っている。
次に深掘りしたい問い
- エングラムが記憶の内容と情動・身体感覚をどこまで一体として保持するのか。
- 内受容感覚が想起や自己感覚をどのように変えるのか。
- 訓練免疫、組織記憶、エピジェネティック記憶は、どの程度まで長期に持続するのか。
- RNA転送とプラナリア再生の実験は、独立した研究室で再現されるのか。
- 「状態記憶」が「意味を持つ記憶」の形成や想起に寄与する経路はあるのか。