生命は情報をどの階層に保存しているのか

記憶は脳のどこにあるのか、という問いを追ってゆくと、やがてもう少し大きな問いに行き着く。

生命は、過去をどの階層に、どのような形で保存しているのか。

この問いには、二つの地図が重なっている。一つは、DNA、細胞、神経、身体、心理を扱う科学の地図。もう一つは、肉体、エーテル、アストラル、メンタル、コーザルといった、神智学や秘教体系が語ってきた地図である。

二つを急いで同一視してはならない。科学から「アストラル体が実在し、そこに記憶が保存されている」とは、現在のところ言えない。しかし両者を完全に無関係なものとして退ける前に、構造上の対応を慎重に眺めることには意味がある。

生命は、すでに多層の情報系である

生命を情報システムとして眺めると、少なくとも次のような層がある。

DNA
  ↓↑
細胞状態・エピジェネティクス
  ↓↑
組織・臓器・免疫・代謝
  ↓↑
神経回路・身体状態
  ↓↑
心理状態・記憶・情動
  ↓↑
自己モデル・価値・人格
  ↓↑
他者・言語・社会・文化

重要なのは、上位の層が下位層の単純なコピーではないことだ。

たとえば「恐怖」は、DNAのどこかに fear=1 と書かれているわけではない。神経活動、心拍、ホルモン、筋緊張、過去の経験、危険についての予測が相互に作用して成立する上位の状態である。こうした考え方は、複数の要素の相互作用から新しい性質が生じるという、創発の発想に近い。

そして情報は一方向には流れない。「危険だ」と認識すれば、自律神経、心拍、ホルモン、免疫、遺伝子発現までが変わりうる。逆に、腸内環境、代謝物、炎症、迷走神経からの信号は、脳の状態、気分、判断へ影響を及ぼしうる。

生命は階層をもつ。しかしそれは頂点から底辺へ命令が下るピラミッドではなく、各層が互いを書き換え続ける双方向のネットワークである。

秘教的な地図を、情報論として読む

秘教的な層を実在物としてではなく、情報の階層を表す比喩的な地図として読むなら、次のような対応を考えることはできる。

秘教的な呼び名情報論的な読み替え科学との距離
PhysicalDNA、細胞、臓器、神経観測可能
Etheric生理、恒常性、身体状態用語は非科学的だが対応現象はある
Astral情動、欲求、身体感覚心理・神経科学の対象として研究可能
Mental概念、言語、認知モデル認知科学の対象
Causal長期的自己モデル、価値、行動傾向比喩としては有用だが、独立の実体は未証明
より高次の層個体を超えた情報仮説領域

これは対応表であって、同一性の証明ではない。「アストラル体とは自律神経系である」とも、「生体電気場こそエーテル体である」とも結論してはならない。構造が似ていることと、同じ対象を指すことは別である。

けれども、この読み替えには一つの効用がある。昔から語られてきた言葉を、信じるか退けるかという二択から救い出し、いま研究できる問いへ翻訳できることである。

コーザルを「人生の圧縮モデル」として読む

なかでも興味深いのは、コーザルという言葉である。これを「原因となる情報の階層」と読み替えるなら、人格や自己の謎に近づける。

人には、「私はこういう人間だ」「この状況では逃げる」「こういう人を愛する」「これは許せない」といった、個別のエピソードより深い生成規則がある。

個々の出来事
   ↓
多数の経験
   ↓
抽象化
   ↓
価値観・世界モデル
   ↓
自己モデル
   ↓
未来の判断と行動

ここに保存されているのは、「昨日、何時に誰と会ったか」という出来事の一覧ではない。膨大な過去から抽出された、未来の自分を生み出すための規則である。

情報論的に言えば、これは強力な圧縮だ。一万件の人生経験を一つ残らず呼び出さなくても、その経験から形成された自己モデルが、次の判断を方向づける。この意味でコーザルを「人生を生成する高次の圧縮モデル」と読むことは、科学的な主張ではないが、自己を考えるための魅力的な比喩になる。

情報は身体の内側だけに局在するのか

ここまでは、最終的に身体内部の過程として考えられる。しかし、さらに一歩進むと別の問題が現れる。

情報は、必ず物質の内部だけに局在しなければならないのか。

人間は、脳と身体だけで閉じた系ではない。光、音、熱、化学物質、電磁的な環境、他者の表情、言語、道具、文化と絶えず関係している。私たちは記憶を本に預け、地図に方向を預け、会話のなかで自分について理解し直す。

脳、身体、他者、環境の境界をどこに引くべきかという問いは、拡張された心、身体化された認知、エナクティヴィズムが真剣に扱ってきた。ここで問われているのは超常現象の有無ではない。「私」という情報処理系を、頭蓋骨の内側だけで切る必然性が本当にあるのか、という哲学的な問題である。

三つの仮説を混ぜない

この先を探究するには、可能性を一つの物語に混ぜず、強さの異なる仮説として分けておくのがよい。

H0:標準仮説

人間の記憶を成立させる情報は、既知の物質、神経、身体、環境との相互作用によって説明できる。

H1:弱い拡張仮説

記憶には、脳以外の細胞、組織、免疫、代謝、生体電気的状態など、まだ十分には理解されていない身体的情報媒体が関与する。

H2:強い拡張仮説

個体の身体から独立した情報場が存在し、生命はそこへ情報を書き込み、そこから読み出している。

H0とH1は、現在の科学の延長で調べられる。H2はアストラル体やコーザル体の世界観に近い。しかし、H2を支持する再現性の高い証拠は、現在のところ確立していない。

だからH2を事実として採用する必要も、反射的に嘲笑する必要もない。「未検出の情報層仮説」として、H0やH1と混同しない場所に置いておくのがよい。

        ┌──────────────────────┐
        │ H2:未知の情報層     │
        │ 個体外の情報場?     │
        │ causal / astral?    │
        └──────────?───────────┘
                   ?
────────────────────────────────
        現在の科学的観測限界
────────────────────────────────
                   ↑
        ┌──────────────────────┐
        │ 自己・世界モデル      │
        │ 意味・価値・人格      │
        └──────────────────────┘
                   ↑
        ┌──────────────────────┐
        │ 神経エングラム        │
        │ 記憶・学習            │
        └──────────────────────┘
                   ↕
        ┌──────────────────────┐
        │ 身体・臓器            │
        │ 心臓・腸・免疫        │
        └──────────────────────┘
                   ↕
        ┌──────────────────────┐
        │ 細胞・エピジェネティクス│
        └──────────────────────┘
                   ↕
        ┌──────────────────────┐
        │ DNA・分子             │
        └──────────────────────┘

問いを実験へ変換する

アストラルやコーザルを探究するなら、「存在するか」と問うだけでは前に進まない。より鋭い問いは次のようになる。

脳、DNA、RNA、エピジェネティクス、残存神経、生体電気、身体、環境から得られる情報を説明に含めた後にも、過去の情報が再現される現象は残るか。

残らなければ、H0またはH1で説明できる。残り、しかも条件を統制した第三者が繰り返し再現できるなら、初めてH2を真剣に検討する理由が生まれる。

「未知だからアストラル」とは言わない。既知の情報媒体を一つずつ確かめ、それでも情報が残るのかを問う。この態度は、未知を閉ざすためではない。未知を願望から守り、本当に発見可能なものにするための作法である。

だから、脳を再生した後のプラナリアに学習の痕跡が残るかという問題は重要になる。仮に現象が厳密に再現されたなら、次に問うべきなのは「不思議だ」ではない。情報はどこに退避していたのか。残存神経か、細胞状態か、RNAか、生体電気か、環境との相互作用か。その候補を一つずつ検証することになる。

生命は、情報をただ保管しているだけではない。分子の状態として、細胞の応答として、臓器の調律として、神経回路として、人生の意味として、そして他者との関係のなかで、過去を現在へ働かせている。

問いは開いたままでよい。ただし、開いた問いを深くするには、比喩、仮説、証拠を区別し続けなければならない。

その区別を守ったとき、アストラルやコーザルという古い言葉もまた、結論を急ぐための言葉ではなく、生命が情報を保存する場所を探すための、まだ使える地図になる。

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