巨星のまばたきを聴く――197kmの電波干渉計が見た、ミュー・ケフェイの素顔
VLBIクロニクル 第1話――電波望遠鏡たちが結ばれた日から、宇宙をめぐる旅がはじまる
1990年11月10日、二つの電波望遠鏡が手を組んだ
茨城県・鹿島の34m電波望遠鏡と、長野県・野辺山の45m電波望遠鏡。直線距離にして197km離れたこの二台が、同じ夜、同じ星に向けられた。
単独では、どちらの望遠鏡もその星の表面近くの構造までは見分けられない。しかし二台の記録を後から重ね合わせれば話は別だ。**望遠鏡の性能を決めるのは、鏡の大きさではなく、望遠鏡どうしの「距離」になる。**これが超長基線電波干渉計、VLBI(Very Long Baseline Interferometry)の発想である。197kmという基線は、東京ドーム何個分でもなく、一つの巨大な仮想望遠鏡の「口径」そのものになる。
この夜組まれたペアには名前がある。KNIFE(Kashima Nobeyama InterFErometer)。そして今回読む論文は、KNIFEが世に出した最初の成果報告だった。
狙われた星――ミュー・ケフェイ
観測対象は、ケフェウス座に輝くミュー・ケフェイ(μ Cep)。かつてウィリアム・ハーシェルが「ガーネット・スター」と呼んだ、赤く燃えるように見える巨星だ。論文自身の分類では「赤色超巨星(M2 Iab)」の半規則変光星とされている。
正直に言うと、この星までの距離は今もはっきりしない。測り方によって390パーセクから1800パーセクまで開きがあり、1992年の論文自身は当時知られていた800パーセクという値を採用していた。「巨大な星までの距離」は、意外なほど確定しづらい数字なのである。
その巨星の、表面からそう遠くない場所に、SiOメーザーと呼ばれる電波の強い光源が点在している。一酸化ケイ素分子が、特定の周波数の電波を増幅して吐き出す現象だ。極小の領域から強烈な電波が出るため、VLBIにとってはまたとない「的」になる。星そのものは遠すぎて表面構造など見えないが、その周りを飛び交うメーザーの光点なら、遠く離れた望遠鏡どうしを結ぶ干渉計で追いかけられる。
何を見つけたのか
KNIFEが捉えたのは、SiOメーザーの中でも振動状態の異なる二本の輝線(v=1とv=2、どちらもJ=1–0遷移、周波数にしてわずか300MHz差)だった。
素朴に考えると、この二本の輝線は星からの距離が違う場所で光っていてもおかしくない。星に近い方が高温で、より高いエネルギー状態(v=2)が励起されやすいと考えれば、v=2の光る場所はv=1よりも内側に来るはずだ、という予想が成り立つ。
ところが観測結果は違った。三つの速度成分について、v=1とv=2はほぼ同じ位置――位相のずれにして約10度、実際の位置差にしてわずか0.2ミリ秒角――で光っていた。仮に距離を800パーセクとすると、これは星のすぐそば、わずか0.16天文単位の精度で「同じ場所」だと言えるほどの一致だ。
この一致は、メーザーがどうやって光るかという「ポンプ機構」の手がかりになる。単純な励起の違いでは説明しづらく、むしろ赤外線のSiO遷移がH₂Oの輝線と重なり合うことで、v=1とv=2の両方を同時に増幅する――そんな「重なり合いポンプ」機構を後押しする結果だった。地味に聞こえるかもしれないが、星の大気で実際に何が起きているかを、直接の目では絶対に見えない解像度で「候補を一つに絞り込んだ」瞬間である。証明ではなく、有力な説明が一つ生き残った、という話だ。
論文はさらに一歩先を見ている。この二本の輝線は周波数がわずか300MHzしか離れていないため、帯域合成という技術を使えば、星の位置や固有運動をミリ秒角精度で測る「電波版・精密測位」に使えるかもしれない、と著者らは書き残していた。
誰が書いたのか
論文の筆頭著者は三好真。共著者には野辺山側から森本雅樹、川口則幸、井上允ら、鹿島側から高羽浩ら、13名が名を連ねている。KNIFEという新しい道具を、二つの研究拠点が共同で立ち上げた成果だった。
誤解しないために
- この論文はブラックホールについて何も述べていない。**扱っているのはあくまで、恒星のすぐそばで光るメーザーのポンプ機構と、KNIFEという干渉計の「初成果報告」である。**三好が後にブラックホールの証拠を示す研究者として知られるようになるのは、同じ「VLBIでメーザーを追う」という技術を、何年も後に別の天体・別の論文で応用した結果であって、この1992年論文が黒い穴を予言していたわけではない。
- ミュー・ケフェイを「赤色超巨星」と書いたが、これは論文自身の分類に従ったもの。近年は「赤色極超巨星」とする文献もあり、分類・距離ともに完全には確定していない。
- 共著者の井上允は、後年NGC 4258の観測にも名を連ねる。人と技術のつながりとして興味深い事実だが、これは「同じ研究チームの蓄積」であって、この論文自体が次の発見を導いたという意味ではない。
- 「重なり合いポンプ機構」を後押しする結果だと書いたが、これは観測データが支持する解釈であって、直接証明された物理過程ではない。単純な励起モデルより説明がよい、という比較優位の話である。
次回予告
同じ「VLBIでメーザーを追う」という手法は、この観測からわずか数年のうちに、まったく違うスケールの天体へと向けられる。恒星のすぐそばではなく、2300万光年彼方の銀河の中心。そこで検出されたのは、静かな星の大気どころではない、桁違いの速度で動くガスの塊だった。
→ 第2話(近日公開):2300万光年先で、あり得ない速さのガスが見つかった
執筆日:2026年8月 参考:Miyoshi, M. et al. (1992), “VLBI Observations of the Two SiO Maser Lines from Mu Cephei,” PASJ, 44, L259–L262(NASA ADS)