『カラマーゾフの兄弟』を読むとき、私たちはしばしば、それをドストエフスキーの「最後の大作」と呼ぶ。けれどもこの言い方には、少し不思議なところがある。最後の作品だったことは事実だが、作者自身はこれを、ほんとうの終わりとして書いてはいなかったらしい。

『カラマーゾフの兄弟』は、若い天才の爆発ではない。四十代以前に、ドストエフスキーは逮捕され、死刑を宣告され、銃殺刑の直前に恩赦を知らされ、シベリアの流刑と兵役を経験した。その後も貧困、債権者からの逃避、賭博、病、家族との死別を生きた。『カラマーゾフ』は、そうした人生のあとに書かれた。連載は1879年から1880年にかけて行われ、彼が亡くなったのは1881年、五十九歳のときである。1

だが、ここで最も想像力を刺激するのは、作品の「著者より」である。ドストエフスキーは、アリョーシャを主人公とする二つの小説を考えている、と読者に告げる。いま読んでいる物語は、主人公の「若いころの一つの瞬間」にすぎず、本当に重要なのは、十三年後の「現代」における彼の活動を描く第二の小説だ、と。

つまり『カラマーゾフの兄弟』は、完成した長編であると同時に、ある人物の序章でもあった。

この宣言を読むと、作品の見え方が変わる。私たちはアリョーシャを、カラマーゾフ家の混乱のなかに置かれた、ほとんど奇跡のように清らかな人物として読む。激情的なドミートリイ、理性と反抗に引き裂かれるイワン、そして醜悪な父フョードル。そのなかでアリョーシャは、許し、聴き、誰かと誰かの間に立とうとする。彼は人間の汚れを知らないから善いのではない。汚れを見て、なお見捨てないから善い。

しかし、ゾシマ長老がアリョーシャに命じるのは、修道院にとどまることではない。世界へ出ることだ。

ここに、書かれなかった続編の核心があるように思える。アリョーシャは最初から「純粋さを保存する人物」ではない。彼は、純粋さを携えたまま世界に入るよう命じられた人物である。続編が描こうとしたのは、清らかな青年がそのまま聖人になる話ではなく、現実のなかで傷つき、迷い、ときには自分の信じた善さえ疑うことになる過程だったのではないか。

後世には、続編でアリョーシャが革命運動に関わり、皇帝暗殺に至る構想があった、という伝承がある。しかし、この筋書きを確定した作者の完成原稿は残されていない。研究上も、どこまでが作者の具体的な計画で、どこからが妻アンナや知人の回想、さらに後世の推測なのかは慎重に扱う必要がある。少なくとも確実に言えるのは、ドストエフスキーがアリョーシャを再び主人公にし、彼を「現代」の政治と社会のただなかに置く第二作を構想していたことだ。2

だから私は、「アリョーシャが奈落へ落ちる」という想像を、単なる意外な大どんでん返しとは考えたくない。

むしろドストエフスキーは、最も愛した人物の信仰を、無傷のまま終わらせたくなかったのではないか。信仰が本物であるためには、それは安穏な場所で守られているだけでは足りない。理不尽、暴力、貧困、政治的熱狂、愛する者の死、そして自分自身の加害の可能性――そういうものの前でなお生き残れるのか。それが試されなければならない。

アリョーシャは、イワンのように「神がいないなら、すべてが許される」と言う人物ではない。しかし彼は、イワンの問いを耳にしない人物でもない。聞いてしまった問いを、他人事として切り捨てられない人物である。だからもし彼が将来、革命や暴力の誘惑に近づいたのだとすれば、それは彼が突然悪人になったからではないだろう。苦しむ人々を前にして、善くあろうとする者ほど、もっとも危険な手段を「善のため」に選びたくなる。その誘惑を描くためには、冷笑家ではなく、善意に満ちたアリョーシャこそふさわしい。

ドストエフスキー自身が、若い日に政治的な理想に近づき、そのために死刑台へ送られた人間だったことも忘れがたい。彼は革命家を単純に称賛する作家ではなかった。けれども、革命へ向かう魂が持つ怒り、希望、正義への飢えを、机上の敵として扱うこともできなかった。もしアリョーシャがそこへ向かうなら、その物語は作者自身の若さを、晩年の信仰がもう一度裁き直す物語になったはずである。

その意味で、書かれなかった続編は、ドストエフスキーの人生全体を映す鏡だったのかもしれない。

晩年の彼は、単純に不幸だったわけではない。二番目の妻アンナは、速記者として出会ったのち、家庭と出版の実務を支え、混乱しがちだった作家の生活に安定をもたらした。1880年のプーシキン記念式典での演説は大きな反響を呼び、彼は生前でもっとも広い敬意を集める作家の一人となった。1880年初めには、健康も以前より回復しているように見え、癲癇発作も減っていたという妻の回想がある。3

それでも彼の幸福は、苦痛が消えたあとの幸福ではない。息子アリョーシャを1878年に癲癇で失っている。自身も慢性的な病を抱え、死の前年に『カラマーゾフ』を完成させながら、次に書くべき作品を胸に残していた。

1881年1月26日(新暦2月7日)に喀血し、医師は肺動脈の破裂と診断した。二日後の1月28日(新暦2月9日)、サンクトペテルブルクの自宅で亡くなった。1 死因については近年も医学史的な検討が続いているが、肺からの出血による死だったことは広く確認されている。4

彼は「すべてを書き終えた」作家として死んだのではない。もっとも重要な主人公を、これから世界へ送り出すところで死んだ。

だから『カラマーゾフの兄弟』の最後にある少年たちとの約束は、慰めでありながら、未完の扉でもある。アリョーシャは、少年たちに忘れないこと、互いを愛することを求める。しかし彼自身がその約束を、十三年後の、より苛烈な世界で守れたのかはわからない。

わからないからこそ、彼は今も若い。

そして、書かれなかった続編は私たちに問い返している。純粋さは、汚れないことなのか。それとも、汚れた世界へ降りて行き、それでも誰かを見捨てないことなのか。

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Footnotes

  1. ドストエフスキーの生涯と作品の年譜 ↩ ↩2

  2. James L. Rice, “Dostoevsky’s Endgame: The Projected Sequel to The Brothers Karamazov” ↩

  3. アンナ・ドストエフスカヤ『回想』 ↩

  4. Dostoevsky の最期を扱う医学史研究(PubMed) ↩